人生の目的

結局何をしているのか、人生の目的というと、一つの真実を局面や部分で切り取り「ゆるむこと」等様々に言えるが、今日私がシンプルかつ広範に言えると思うのは「克己」という事。

己に克つとは、それぞれ気付いた時には持っている先天的に潜在する身体の器質としての、また後天的に周りのヒトとともに嵌ってしまう、ヒトの知能の業・落とし穴を克服するという事。

そういう、自分という問題集を解くという事。

自分が主導権を握れる時は、やろうとしなければ良いだけであっても、迫る人為に対応するには人為も必要、そのため味わうものの優先順位を確認するわけですね。

しかして味わおうとすると呼吸が不自然になる。至るは、やらなければという時ほど自分を止めるという事。結果、一番呼吸が出来て味わえる状態になるという所。こうした逆説が人間のように多層の心身構造を持つ生物の極みでは。

息が吸えていれば動けてしまうから、やらなければとすら思わない。やらなければと思う時は息が吸えておらず動けなくて思うのだから、止まれば息が吸われる。止まっても吸わないなら、それも身体からの深い本音本意。体内の酸素減少とクロスフェードで、やらなければと思っている。そうした潜在要素をコントロールするという事。

やらなければという時ほど自分を止め、どれだけ息を吸おうとしているか体の声を訊く技術。体に答えを出させる実戦吟楽「止」。極限環境を生き抜く際や、人間以外の動物と接する中で、それが優しさの本質と言えるのではと考える。体が自覚以上に世界と繋がっているため、体の声を活かしていると優しさが伝わり、緊張は無い。