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平和という言葉と個人について

平和という言葉を多くの人が使うけれど、その奥行きを考えると皆の使う意味が簡単には共通しない言葉だと思い、
私の本質は変わらないにも関わらず前のブログタイトルから変わる一因にもなっている。
含意が簡単に共通しないから使わなくてもいいくらいなのではと思い。

平和の最終達成点を皆の心の充足と言うなら、

よく有事や平時といった見た目上わかりやすいところで、有事は平和ではないことが多いだろうが、平時たとえば戦争状態でなければ平和なのかというと、
戦争状態ではなくても日常のなかに、狭められたなかに地獄は存在し、それは平和とは言えないだろうし、そこからひいては戦争等の表面化したものにまた展開していったりする。

また平和というものについて私以上に本気で考えたことが無いにも関わらず、それぞれの挫折から平和は無理だと言ってしまうことが普通にある。
それは30年位本気で動いて考えてから言ってほしいですが。

たしかに、人間は変動するので恒久的な平和を保証するのは無理だろう。
だから必要なのは、なにかしらでずっと調和がとり続けられるということであり、平和というのは個人と世界との調和の集合体という流動的に成されるものと言えるでしょう。

こんなふうに考えてくると、平和という言葉に込められるイメージが人それぞれで異なりすぎるので、使わなくていいくらいだと思えてきて、代わりに「調和」などで良いのではないかと。
世界平和の代わりに世界調和など。まだ聞き馴染みがないけれど。

それでもって、大まかな調和をとるものとして政治的な次元の営みも必要だけれど、根本的には個人の営みからの調和が必要だと考えられるに至るわけです。

ここから私の、皆さん個人個人のための普遍的な伝統文化という調和の装置づくりが行われています。

-吟楽のまとめ-

あらゆる違いを飛び越え皆の伝統文化となれる鍵を求めて。
かたちを超えて普遍的なものに言及し、ある機能を持つ文化という有用な装置をたてる。
名称よりも実が大事ですね。

視点として、全ては身体表現と言える。
身体で感じるプロセスを経て動くという点で。岡潔氏曰くをみても数学ですら。
運動神経とか柔軟性とか、やるとかやめるとかいうものではなく、既に常に生涯やっていることでしょう。
また、身体の概念を拡張すれば、非生物もその身体の表現をしていると言える。

身体表現そして吟楽のポイントとして、吟味、味わうだけで心身は動いて繋がる。
味わうだけで既に心身は動き、ある表現は終わっている。
味わうことを入口とし、精侭(しょうじん)が表れ、人を薫する。吟楽精侭薫。

姿勢として、開放性のある自明の理に基づき、排他的思考のある人とも議論せずにも共有できることを基準とする。

これによって生の全てを吟楽として文化化し、小さな物語や大きな物語を、更なる秘められた物語へと深化させることが出来る。
例えば先のフィンランドでの他者企図の詩劇も、徹底して吟味する私だけをとれば「吟楽 詩劇 ○○」となっているし、
吟楽 能楽 翁
吟楽 白鳥の湖
吟楽 交響曲第九番
吟楽 We Will Rock You
吟楽 ファッション
吟楽 洋食
吟楽 建築
吟楽 視覚メディア
吟楽 呼吸
吟楽 歩行
吟楽 日常
というふうに全てにおいて可能な構造になる。

吟楽作品『一矢』は、全てを失ってなおその手に残るものをポイントとし、吟楽そのもの、純粋な素体を示そうというもの。
こうしたものが人間だけでなく他の存在にも何か波及できればと、そこまで思いつつ。

お返し

シンプルに、 生まれてきて何かいいことをしたい、 そのように思ってコツコツと準備をする。
いただいて生きているし。
生きてさえいればいい。
死んでも、何かが生き続けている。

ポイント

自然や個性の奥行きまでも記述するためには、その理性に開放性があること。

筆舌は尽きている

一矢に純化する吟楽を口にしたあたりから筆舌は尽きている。
必要なものはもう道の上にある。 あとは何を言っても茶を濁すばかり。


ここまでの全てが禊だったのだと思いましたね。

ユニバーサルトラディションに込めたものを通して

トラディション/伝統とだけ聞くとひとは、かたちとして既に過去から存在する伝統的な何かを想起し期待するかもしれません。
しかし単にトラディションでもなく、ジャパニーズトラディションでもなく、ユニバーサルトラディションであり、ユニバーサル/普遍的の意味を考えてもらえれば、そんなものは未だかたちとして存在しないのは自明ですから、それは人種や国や文化の違いをこえて「潜在し」「存在しうる」というポイントで伝統文化「たり得るであろうもの」という未だ見ぬものを提案しようとしています。

ですから普遍的な伝統文化たり得るものでありさえすれば、過去から存在する伝統的なものが含まれてもいいし、含まれなくてもいい。
普遍的な伝統文化たり得るであろうものの要点を挙げるならば、「吟味して味わって生まれるものの自然性」というのがあると思う。
すると、「吟味して味わって生まれるものの自然性」を組み込んだ吟楽のコンセプトだけ考えていれば、過去から存在する伝統的なものが含まれても含まれなくてもユニバーサルトラディションにも適っていると思う。
その吟味・吟楽はいま貴方の身体を通して出てくるものという一つのかたちでよく、この世に存在するものを網羅的に無理に意識したりする必要もなく、それでもユニバーサルトラディション/普遍的な伝統文化たり得るであろうものになっているからOKだと思うのです。
それで「貴方が味わって生まれてくるものであれば何でも大丈夫だと思います」、という私の端的な応えに確信が込められているのです。

私の内部構造はよくこのように、沢山の内容から醸成された結果として端的なものが発せられていることが多いように思います。

20200105 常滑

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日本六古窯の地 衛生陶器、土管、建築陶器等、人の暮らしを縁の下から支えてきた。