日記

朝方まで起きていたが、また昼前に起きた。

ヒトは平均8時間寝たほうが良いという研究家の説もあるが、途中目が覚めて、寝つけなかった。

アプリで札幌と東京の天気情報に目を通す。この頃は大体それをする。あとコロナ感染者数の状況にも。

今日は兄弟のところに母からのプレゼントを届けに行く。徒歩でゆっくり小一時間。

そして買出しのお遣いをし、アーティストトークをし、その帰りに祖父母へのお遣いをするだろう。

老猫の固まってきた毛束もほぐしてやりたいところだ。巻爪にならないよう爪切りも。

この冬は祖父母宅のヒーターから水漏れし、カーペットを取り除いて床を拭くために、家具を大移動させた。某所で幾冬か鍛えた搬入術がこの身に残っていて冴えた。

2018年の地震の時といい、図ったようなタイミングで家族のもとに居合わせたものだ。

自慰が減った。興奮はすれども果てるまでは行かない。物事の中間課程に豊かな歩みが描かれる。

オスの生態としてシンプルに体内の大事なタンパク質という構成物質が排出されるというのは、甚大な疲労をもたらす。想い叶わず慰めるより、力をとっておき、想うもののための行動に充てたほうが、かなり効率的で建設的だ。

緊急事態宣言を鑑み延期した舞台は4月。無観客公演だが。それまで5月以降の自分の動きをシミュレートしたりと、人間、契機になるようなイベントを取り立てて意識しがちだけれど、実はこうした日常生活から全てのことが繋がっていて、更にその先自分という個を超えて世界、宇宙に繋がってるのだと思う。

その繋がりの上で生きるのに、味わうということ、吟楽が活きる。吟楽はひとをブーストする。

三浦勇太はもういない。だから三浦勇太としての繋がりはリセットして見てもらわなければならない。宇流がいる。

眠くなったので、小一時間寝る。

寝れなかった。

ヒトのあらゆる営為が生まれる前から在り、あらゆる営為が絶えたとしても在り続ける、いつもここにあるもの、

日本に限らないが、日本に土着の自然志向にも見られるそういうものが、あらゆることに耐え通用する、普遍的な伝統になるものだと思われるので。日本の文化を推すことがあってもナショナリズムとかそういうことではない。

それを集約したのが、味わうということ、吟楽。