埒外をおさめる

物体が時間の上で発する相対的な情報の収束率、その疎密の表れによって意思が伝わる、伝わってしまうんだよな。もののかたち然り。

そういう、嘘のつけない各存在の本当の姿から伝わるものが、その存在の道を規定しているな結局。

そういうことを生物としての自分の身体は脈々とやっている、やりたがっているのだけど、人間の自分の頭がそれをわかっていなかったりする。これまでそれが普通で。

養老天命反転地などは、現代の住環境を野生の野山の凹凸に配し、そこを往けば"わかっているかどうか"が立ち表れる。吟楽師の試験場としても使える位、そのことを分かって作られているという事が伝わってきて嬉しい稀有なる処だったな。ああいった規模とカジュアル感で形に残るものが出来たことは素晴らしい。

自分の頭で想像できない解を身体が持っている。そういうことを分かって自らの頭が無益な苦痛を生むことなかれと思う。

吟楽とはそんな頭を含めた身体を持つ人間という自分を乗りこなすためのツール文化と言える。