ユニバーサルトラディションに込めたものを通して

トラディション/伝統とだけ聞くとひとは、かたちとして既に過去から存在する伝統的な何かを想起し期待するかもしれません。
しかし単にトラディションでもなく、ジャパニーズトラディションでもなく、ユニバーサルトラディションであり、ユニバーサル/普遍的の意味を考えてもらえれば、そんなものは未だかたちとして存在しないのは自明ですから、それは人種や国や文化の違いをこえて「潜在し」「存在しうる」というポイントで伝統文化「たり得るであろうもの」という未だ見ぬものを提案しようとしています。

ですから普遍的な伝統文化たり得るものでありさえすれば、過去から存在する伝統的なものが含まれてもいいし、含まれなくてもいい。
普遍的な伝統文化たり得るであろうものの要点を挙げるならば、「吟味して味わって生まれるものの自然性」というのがあると思う。
すると、「吟味して味わって生まれるものの自然性」を組み込んだ吟楽のコンセプトだけ考えていれば、過去から存在する伝統的なものが含まれても含まれなくてもユニバーサルトラディションにも適っていると思う。
その吟味・吟楽はいま貴方の身体を通して出てくるものという一つのかたちでよく、この世に存在するものを網羅的に無理に意識したりする必要もなく、それでもユニバーサルトラディション/普遍的な伝統文化たり得るであろうものになっているからOKだと思うのです。
それで「貴方が味わって生まれてくるものであれば何でも大丈夫だと思います」、という私の端的な応えに確信が込められているのです。

私の内部構造はよくこのように、沢山の内容から醸成された結果として端的なものが発せられていることが多いように思います。