時代ものの難しさ
特に大体の東洋において、欧米化した近代以降とそれ以前では心身の文化が大きく変わっているし、時代劇とか時代ものの物語を紡ぐとき、近代以降に振り返って特にネガティブな烙印を押されたものについて、本当は当時を生きる人の平均的な感じとしてはそんなことはなかったのではないか、と疑うことを基本としたほうが良いのではないかと思う。
例えば日本の江戸以前については封建社会で苦しかったろうという見方が殆ど疑われていないと思うけれど、それはそういう面もあったろうけれど、当時の人達はそれでも幸せに生きられるほど心身文化のレベルが今より高かったのではないかと考えられる。
今の自分のまま身分制度や男尊女卑の世の中を想像して感じることとは、当時の実感は違うことが多いだろう。
それなのに時代劇等で今の人がその状況を脚本監督したり演じる、とすれば、その計り知れなさを計算に入れて臨まなくてはいけないのではないかと思う。
しかし輪をかけて、入り込めるところには商売が入り尽くしている世となっているから、テレビや映画には表面的に記号的に教わった表現を並べるばかりの人が消費を回すように採用されて、初期の時代劇と比べてなかなかひどい状況が見られる時があると思う。
本当は当時は全然こんなふうではなかったのではと思うような。
アイヌや縄文等に触れる時にも同じようなことが言えると思う。
例えば日本の江戸以前については封建社会で苦しかったろうという見方が殆ど疑われていないと思うけれど、それはそういう面もあったろうけれど、当時の人達はそれでも幸せに生きられるほど心身文化のレベルが今より高かったのではないかと考えられる。
今の自分のまま身分制度や男尊女卑の世の中を想像して感じることとは、当時の実感は違うことが多いだろう。
それなのに時代劇等で今の人がその状況を脚本監督したり演じる、とすれば、その計り知れなさを計算に入れて臨まなくてはいけないのではないかと思う。
しかし輪をかけて、入り込めるところには商売が入り尽くしている世となっているから、テレビや映画には表面的に記号的に教わった表現を並べるばかりの人が消費を回すように採用されて、初期の時代劇と比べてなかなかひどい状況が見られる時があると思う。
本当は当時は全然こんなふうではなかったのではと思うような。
アイヌや縄文等に触れる時にも同じようなことが言えると思う。