ルーツⅠ/札幌・明治~現代

北海道に入った和人の比率は5割が東北、3割が北陸、残りが関東や西日本などだという。
士族授産、対ロシア、明治維新後の様々な思惑が後押しして一大開拓となり、タコ部屋労働等も生まれた。

その名残はいたる所に存在し、例えば伊達氏の開拓した伊達市だけでなく、札幌市白石区も宮城県白石の伊達重臣が開拓したため、白石神社には伊達が祀られている。
札幌市豊平区天神山の相馬神社は福島県の相馬太田神社の分霊。
札幌市西区福井は福井県から。北広島市は広島県から等々。

私の母方は祖母が福井県で寺を営む生家から函館市を経て、祖父は欧米にも渡り新得町にて酪農に貢献した。気功に転身し、私にシヴァ神の舞踊の話をしてくれたのが思い出される。

父方は大正生まれの祖父が秋田県からむかわ町に入った家に生まれ、のちに理科を中心とする教員となるが、第二次世界大戦中は師範学校のため埼玉県に住み、空襲を受ける東京を眺めたという。兄が日清戦争の揚子江(長江)で片腕を失っている。
父方の祖母もまた熱心な教員であり、よく調べられた石田家の家系と歴史の書を見せてもらえたし、育ての親といえる存在であった。

新琴似神社内石碑

桓武天皇に始まり、平氏、三浦氏、壱岐石田氏となって、葉隠の四哲・石田一鼎(いってい)を生んだ石田家は1888年、屯田兵として高祖父の石田惟平(これひら)が佐賀県より移り住む。
小樽港から入り、新琴似兵村に入村。新琴似神社の石碑にその名を刻む。

札幌静修高等学校

 曽祖母の齋藤ランは札幌静修高等学校を設立。齋藤家は現在もすすきのにて呉服を営んでいる。
また、父方の伯母の義父は園田夢蒼花(むそうか)として北海道俳句協会会長を勤め、北海道俳句界に名を遺している。

北海道立文学館蔵

私の生家は札幌の名の由来ともなった豊平川(古名サツポロ=アイヌ語でサツ/乾く・ポロ/大きい)のそば。
今年はとみに、その川に足を差し入れてみた。川の中ほどで眺める水の循環。上流に目をやると煌きの洪水のようだった。


こうして見ると、北海道・札幌市の歴史にとってコアな流れにあったものだと思う。

幼少の祖母

北海道開拓の村、また北海道知事公館の裏庭や北海道大学植物園には、札幌市が今の姿になる前のメム(アイヌ語の湧水,付近に住居が形成された)や原生林を偲ばせる風景が都市と隣接して広がっており、150年に過ぎない北海道の開拓についての本質的な体験を提供する場所としてお勧めできる。