【吟楽を語る】世界のために

もって生まれたハードウェア・身体・脳の違いからくる精神のどうしようもない個性、深く刻まれたトラウマ、物心ついたら身につけていた信条、人間の認識というもの自体の落とし穴、 そういったものが、大きな過ちを認識する位のことがあるまで反省されず、その間にも環境破壊等は続いていき、だから国際的な取り決めで具体的な目標を立てておく、といったことも必要になるわけだが。 

私は吟楽というもので、地球人の伝統文化として、仏教の悟りも超えるものを提示したい。
最初に述べたような個々の違い、それも受け入れ、それを議論することなしに飛び越え、まずただ万事を吟味する、とことん味わうことによって、そうでない場合との、内に生起するものの違いを各自が感じ、自然〜身体〜精神の繋がりに気づくということ。
心身は、味わうだけで動くし、意識せずとも味わったことによって動いていて、そのようにつながっている。

味わうことによって心身が動くことを本来の身体表現とすれば、全てが身体表現であり、吟楽になる。
運動神経とかそういう話ではなく、今こうして私が文字を打つこと、あなたがそれを読むこと、これから息をすること、移動するとかしないとか、その全ての話をしているのであって、
やるとかやめるとかいうものではなく、既にやっていること。
世の幾多のメソッドというものは、それをあらゆる方面に整理したものであって、個体の個性によっては合わない部分もある。
だから根本的には味わうだけで仏教の悟りを超えているのではないか。 私はそう実感しています。

やろうとしなくても、味わうだけで既に心身は動き、世界を繋いでいる。