ありがとうございま"す"に憩う人宇宙
他の言語だとどのタイミングで見られるかわからないけれど。
一般店員の「ありがとうございます」のシメの"す"で、その人のコンディション、言えば自己の身体の自然と人為との折り合いの状況がわかる。
一般店員の、というのはつまり、くだけた場面で「ありがとうございますう〜」などと"す"の後に母音の"う"などの音へ展開してよい場合ではなく、"す"という口を締めていく発声で終わりましょうという決め事、といった人為を強いられている場合でこそ観察できるからで。
口すなわち息の出口を締めていって終わるということは、ありがとうございますを言いきるのに必要なだけの量以上の息を残している場合、以下のようなパターンが生まれる。
振り切って「ありがとうございまスゥーーーー」と空手家の息吹よろしく音を立てて残留空気を吐き切るパターン。これはまだいい。これはこれでそれを楽しんでいるふしがあるから。
「ありがとうございまス!」とsの子音をぶつ切りにするパターンは危うい。発声に必要以上の息を吸っている上に、この切り方は苦しく、義務感で人為的にやっているので総じて雑で自己の内部にストレスを溜めていく。
おそらくその後者のパターンの苦しさを脱却したいと発生し伝播していったパターンが、「ありがとうございまーぅ」と子音を捨ててしまうパターン、そして「ありがとうございまー」と母音すら捨ててしまうパターン。
ただ、本来の上手さで言えば、決め事という人為として「ありがとうございます」と言うことに決められていたとしても、その時その時の自己の身体の自然と外界との間で繋がりを取り結ぶに必要なだけの息を吸い、スムーズな流れで丁度"す"で吐き終えることであって。
そんなことがわかってしまいますよね。
一般店員の「ありがとうございます」のシメの"す"で、その人のコンディション、言えば自己の身体の自然と人為との折り合いの状況がわかる。
一般店員の、というのはつまり、くだけた場面で「ありがとうございますう〜」などと"す"の後に母音の"う"などの音へ展開してよい場合ではなく、"す"という口を締めていく発声で終わりましょうという決め事、といった人為を強いられている場合でこそ観察できるからで。
口すなわち息の出口を締めていって終わるということは、ありがとうございますを言いきるのに必要なだけの量以上の息を残している場合、以下のようなパターンが生まれる。
振り切って「ありがとうございまスゥーーーー」と空手家の息吹よろしく音を立てて残留空気を吐き切るパターン。これはまだいい。これはこれでそれを楽しんでいるふしがあるから。
「ありがとうございまス!」とsの子音をぶつ切りにするパターンは危うい。発声に必要以上の息を吸っている上に、この切り方は苦しく、義務感で人為的にやっているので総じて雑で自己の内部にストレスを溜めていく。
おそらくその後者のパターンの苦しさを脱却したいと発生し伝播していったパターンが、「ありがとうございまーぅ」と子音を捨ててしまうパターン、そして「ありがとうございまー」と母音すら捨ててしまうパターン。
ただ、本来の上手さで言えば、決め事という人為として「ありがとうございます」と言うことに決められていたとしても、その時その時の自己の身体の自然と外界との間で繋がりを取り結ぶに必要なだけの息を吸い、スムーズな流れで丁度"す"で吐き終えることであって。
そんなことがわかってしまいますよね。