『詩劇 花はくれない』フィンランド公演に寄せて

この度の舞台作品、そして一連の営為の根幹に関する所感と致しますと、エジプト発祥の彼の花がこの惑星の中で、「くれない」という花に不死の意味を見出す在り方、換言すると人と植物という種の違いを越えて、自己と自然の繋がりを知るflowering spiritを持つ、こうした精神文化の日本と出逢ったというこの一事の価値が、「かたちを越える」という点において錯視とも通じ、世界の本質に迫る日本美の要点として、西方に渡る意義を持つと思っています。

かたちを越える、それは言葉の壁も越えること。
動きによる表現の重要性とも言えますが、かたちを越えれば、発声も動きですから、日本語台詞という振付に託された発声の動きの奥行きを味わい深めれば、入り組んだ意味までは伝わらずとも、音の動きからもそこに込められた意識は伝わることでしょう。
日本語は言葉自体に自然な身体性、手触り感がふんだんに残されており、それもまた日本美の顕れであり、日本語台詞だからこそ到達できるエモーションがある筈です。

身体という自然を解して、西方の人々と繋がる。
そこまで行けば、かたちを越えた我々は普遍的な日本美纏う花の人、flowering spiritを担う人となるのではないかと思います。
その永遠の心が、人々の慰めとなりますように。

精気を満たした時を過ごしていきたいと思います。