人生宇宙の旅

物理的にもあちらこちらと足繁く向かい、生き様としても人世の様々の場面を旅し、旅多き人生、旅のような人生だなと思うとともに、生はもとより旅のようなものだったと幾度も思い至る。

廻ること、やり抜いて一周することが大切で、そうしてもと居た原点の意味や価値がわかる。

今は明治維新の折、官軍となった地と賊軍とされた地との狭間で江戸以前からの変遷を辿っているが、これが単なる歴史好きのそれではないこと、それで終わっては人類史や宇宙史に還元するものが弱いことを自覚する。

私は札幌に生まれたから、(それはそれで業の深い土地なのだが)どうあっても明治より前の和人の足跡は存在しない土地であったし、だからこそ柵のない軽みある幼年から青年期を過ごし、普遍的な視点に馴染みがよかったのかもしれないが。

学ぶこと、そこから歴史を知る事を通して、今の状況が過去とは関係なしに昔からこうであったわけではなく、ヒトの行いの積み重なりによって人為的に急速にこうなっている、ということを認識することになる。
そして、だからまだ変えられる希望があるという事もわかってくる。

地球なる星のヒトなる生物の生活域の中で、この東の地を生きて旅することは、自然と親和する風土気質の中で、西洋理性文化とのメディアミックスを遂げ、一周してまた此処の心身文化の有り様に還るという、人世の中でも興味深い観察適地に生まれたものだと思う。
果たして様々の出来事を経て、本当に人間の幸福度は増したのか。

かたちに囚われず、周りに振り回されない時代の始まりに、福島で過ごしたことは絶妙の采配であったなと思う。
そんな時代になりますように、ではいけない。一人一人が自分から、皆でそんな時代にするのだ。

この地のヒトと心身文化の価値、その世界的な価値をやはり思う、旅の日々なのであった。